| 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は奈良時代聖武天皇の御世、橘諸兄公の母(橘夫人 県犬養三千代)によって宮中で
酒解神(大山祇神)・酒解子神(木花咲耶姫命)・大若子神(瓊々杵尊)・子若子神(彦火々出見尊)の四柱を、 神々の御事跡(結婚後すぐに子が授かり、無事安産された事を祝って、米から酒を醸された―――「日本書紀」)により、 酒造の神・子孫繁栄の神として祭祀されたのが始まりで、その後山城国井手寺の中に移され、橘氏の氏神として祭祀されました。 なお、神花が梅なのは、木花咲耶姫命の「木花」が梅の花の雅称であることに由来しており、 読みが産(うめ)と同じ事に因んだ物であります。 嵯峨天皇の御世、諸兄公の孫 にあたる清友の娘 嘉智子(檀林皇后)によって梅津の地に移され(807〜808頃)、 彼女が祈願して皇子(後の仁明天皇)を授かりました(810年)。 その後、仁明天皇の皇子 文コ天皇が主神四柱に併せて、橘清友・檀林皇后・嵯峨天皇・仁明天皇の四柱を合祀して 現在の梅宮の神々八柱がそろいました。 天皇を祭祀している事から、朝廷により幣帛をいただく官幣社となり、後に名神大社に列せられ、神階も正一位を賜りました。 中世、応仁の乱をはじめ数々の戦乱に巻き込まれて焼亡し、永らく受難の時代が続きましたが、江戸時代の寛永年間に現在の地に再建されました。 以上の経緯により、はっきりした年代は不明でありますが、2008年頃(平成20年)が、梅宮が京都梅津に遷座して1200年になると思われます。 また、現本殿が江戸時代の元禄年間に再建(1700年)されてより310年になります。 当社は明治4年以降官幣中社として国営の神社でありましたが、昭和の戦乱期には根本的な補修改修を受けず、昭和28年に 宗教法人梅宮大社となった後も荒廃は進み、昭和38年に漸く本殿および拝殿の屋根の修繕、更に昭和52〜60年にかけて 東門・摂社・神饌所・手水舎の修繕、一部新築と防災設備の設置・参道の整備が行われました。 しかし、正門の『楼門』は一切手がつけられておらず、屋根のずれが進み瓦崩落の危険性が高まっており、 早急に手を打たなければならなくなりました。更に葺き替え後40年以上を経過した本殿の屋根の傷みも進んできております。 そこで、2008年を遷座1200年記念と定めて梅宮大社の大修繕を行い、設備の改修を行いたく計画した次第であります。
計画:平成17年〜平成22年(2005〜2010) *2010年に「仁明天皇生誕1200年祭」として完成大祭を行って完了する。 |